夕方、渡嘉敷島のおかあさんから電話があった。
実に2年3か月ぶり。
声を聞いた瞬間、涙がこぼれそうになった。
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島の『おかあさん』、というのは、
渡嘉敷島在住、旅館村元のおかみさん、當山恵子さん。
僕以外にも、たくさんの息子、娘がいる。
あの児童文学作家、灰谷健次郎さんも、数ある息子の一人。(だった。)
ちなみに、島のおとうさん、は當山清林さん。
僕が、1997年3月に沖縄渡嘉敷島に移住して10年間、
ありとあらゆることでお世話になってきた。
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渡嘉敷島にかかわる人で、當山のふたりに世話にならない人は、
たぶんいない。
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『おかあさん』から電話があったとき、
僕はブロックを積んでいた。(作業場を改装中)
コンクリートやブロックをいじくるのも、渡嘉敷以来だから、
もう5年ぶりくらいかなあ。
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島で慣れない大工仕事をしていると、
毎日入れ替わり立ち替わり、
誰かが手伝いにやってきてくれた。
萩堂さん、つよしさん、はる坊・・・
亡くなってしまったひとも多い。
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抜けない釘の抜き方、柄が折れてしまった大ハンマーの直し方、
ゴミ捨て場の草刈機を復活させる方法。
山でやぎを捕まえる方法。
ついでにおいしい山羊汁の作り方。
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仕事をしてると、
思うように事がすすむことのほうが珍しい。
思うように行かないことを、
今ある手持ちのものでどうにかしてしまう現場力!?
それを身につけるのに、離島ほど適した場所はほかにない。
思えば、
何から何まで島で教わった。
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初めて渡嘉敷島を訪れた日、
當山に連れられて、
農道工事の現場事務所の飲み会に参加した。
泡盛を飲みながら、話に興じていると、
當山から、「おい、若いの!酒つくりなさい」
と一喝された。
あれ以来、相当酔っ払っても、ひとのコップの酒の減り方は
自然と気になる。
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そう、
残念ながら、まだ何一つ恩返しができないでいる。
久野裕一に、何ができるのかは、
まだ本当のところよくわからない。
でも、ちょっとした作業の折りに、
島のことをよく思い出す。
なんか、
『久野裕一』なんてものはなくて、
お世話になっているいろんな人が詰まっている入れ物にすぎないような
そんな不思議な感覚がある。
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やっぱり、
今日一日、精一杯やったと、
心から言える1日1日をすごしていきたい。
それしか、ない。かな・・・